何やってるんだろなぁ。おれは。
 物凄く死んだような目で。
 黒崎はただ一人、この異様な雰囲気というか、熱気の渦巻く部屋の中を眺めていた。
 彼の目の前では、きゃあきゃあとはしゃぐ華やかな恰好をしたお姉さんたちが群がっていて、我も我もとばかりに色とりどりの綺麗な女物の服を押し当てている。
「ねぇ、こっちなんか似合いそう」
「わあ、可愛い。ね、こっちは?」
「こっちも素敵だと思うんだけど」
 もしかしてこいつらは、おれを玩具にして遊んでるだけじゃないんだろうか。
 そんなことを思いながら、黒崎はどっぷりと大きなため息をついた。

 事の発端は、結構些細なものだった。
 久しぶりに会わないかと白石に話を持ちかけられ、連れて行かれたのは以前仕事の時に一緒に行った高級クラブ。
 相も変わらず綺麗なホステスたちに囲まれ、気さくな笑顔で応える白石に、我ながら思いっきり凄い顔で呆れてみた。
 その後、彼女たちを引き連れて大きなテーブルの席に移動して、皆でキープされていたボトルを開けたり、わいわいと酒や肴を摘んでは、楽しげに語り合う。
 相変わらず陽ちゃんは強情ねぇ、とママに微笑まれ、憮然としている白石に、黒崎が指を差して笑ったりもしたが。
 しばらくして、彼が鳴り出した電話を受けるために席を立ったのだが、そこからが問題だった。

『黒崎ちゃん、陽一さんが吃驚する顔、見てみたいと思わない?』
 ホステスの一人が、こそこそと耳元で囁いた。
 訝しげに彼女の顔を見ると、それこそ悪戯っぽい微笑みを浮かべている。
『陽一さんってね、ここではあんまり驚いたりしないのよ』
『そうそう。私たちがいくら驚かせようってしても、全然動じないのよねぇ』
『へえ、そうなんだ』
 黒崎はその時、興味の無いような口調で返したが、彼女たちは本気だった。
『黒崎ちゃんも、陽一さんの吃驚した顔、見たくない?』
 そりゃあ、拝めるものなら拝んでみたい、とは思う。
 そう告げると、彼女たちはやっぱり、と手を叩いて喜んだ。

 だからといって。

「――あのさぁ、だからって、何でおれがここで皆に囲まれてるわけ?」
 思いっきりジト目でホステスたちを睨みつけてみるが、彼女たちはどこ吹く風。
「だって、陽一さんを吃驚させるんだもの。一番良く知ってる人で驚かせた方が効果的だと思うのよ」
 そういうものだろうか。
 黒崎は身包みをひん剥かれ、今やパンツ一枚で胡座をかいていた。幸い履いているのはボクサータイプで、身体や腰周りの線にフィットするものだったので、みっともない物まで彼女たちに晒されずには済んでいるが。
「……で、おれに女装させて驚かそうって話?」
「せいかーい!!」
 すごぉい、と拍手するホステスたちに、一人頭を抱える。
「大丈夫よ。陽一さんが戻ってきて黒崎ちゃんのこと聞かれたら、上手い事言って誤魔化すから」
 そういう問題でもない。
 そんな会話を繰り返している間にも、黒崎の目前には派手なものからシックで清楚な色合いのものまで、様々な服が押し当てられている。
「黒崎ちゃん、どんなのがいい?」
「どんなのっておれに聞くなよ」
 うう、と唸りながら渋い顔で言う黒崎だが、突然はたと思い出した。
「……首筋」
「え?」
「首筋、見えないやつのがいい。うなじとかが隠れるような」
 黒崎の提案に、ホステスたちが顔を見合わせた。こんな恰好にひん剥いた彼女たちなら、何故こんなことを言い出したのかは、わかる筈。
「――うん、わかった! じゃあ、これはどう?」
 初めに黒崎の隣を陣取っていたホステス――源氏名をあやめといったか――が、一着の服を取り出してみせた。
 それは、男物でいうスタンドカラーの襟元が特徴のドレスだった。胸元が開いているが、白いドレープのような生地で隠せるようになっているデザインで、袖口や膝の辺りから広がる裾の端にも、白く薄い生地が覗いている。
 全体の色は鮮やかな青で、彼女たちの服装と比べれば、控えめで清楚な印象すらあるし、膝の辺りですぼまったマーメイドスタイルが(生憎黒崎はわからないが)動きにくそうなのを覗けば、露出度はかなり控えめといえるだろう。
「わあ! あやめちゃん素敵じゃない。似合いそう」
 黄色い声を上げるホステスたちに、一人こっそりと耳を塞ぐ黒崎。正直な話、キンキンに高い声が耳にかなりダメージを与えるということを改めて学んだ気がする。
「じゃあ、衣装はこれで決定で、あとは……」
「ちょっと待って、まだあるの?」
 あやめの声に、思わず嫌そうな顔で振り向いた。
 それに対し、彼女はけろりとした態度で『ちっちっ』と指を振る。
「当たり前じゃない。その服に合ったパンプスもいるし、メイクもしなきゃいけないし。――あ、黒崎ちゃんの髪、凄く短いからウィッグもいるわ」
 絶句。
 まさにその一言で片付けられる表情をして、黒崎はがくりと項垂れると。
「……あやめさんに、任せる」
 投げやり気味に呟いたのは、案外間違ってはいなかった。

「できた!」
 能面のような顔であちこち弄られること暫し。
 あやめの達成感溢れる声で、黒崎はやっと我に返った。
 できたって、何が。
 と問う前に、周りのホステスたちの様子が何かおかしいコトに気が付いて、慌てて見回してみる。
 皆が、呆然とこちらを見ているのだ。もしかしたら物凄い笑える顔になっているんじゃないかと想像もしたが、それは随分とあっけなく覆された。
「うっそおおおおぉぉぉ!」
 大合唱。
 何が何だかわからない黒崎をよそに、回りのホステスたちが次々と囃し立てる。
「すっごーい、綺麗じゃん! 黒崎ちゃん!」
「可愛い!」
「……私よりも綺麗かも……」
 彼女たちの表情は、どれも取り繕ったようなそれではない。完全に感嘆した大歓声に、さらに頭の中が混乱した。
「あ、あやめさん。おれ、どーなってんの?」
 一人取り残されてうろたえる黒崎に、あやめが微笑みながら手鏡を手渡した。
「まあ、見てみなさいって。自信作よ」
 言われるがまま鏡を覗き込んで、これまた絶句した。

 ――こいつ、誰だっけ。
 まず、頭に浮かんだ疑問が、それだった。
 艶やかで長い黒髪に、こちらを覗き込む黒い瞳。
 瞼にうっすらと施された、柔らかい色のアイシャドウ。
 頬に優しく刷かれたチークに、艶やかなグロスと淡いローズピンクを重ねた唇。
「清楚な感じの衣装だから、メイクも合わせて控えめにしてみたんだけど。黒崎ちゃん、お化粧のノリがいいし張り切っちゃった」
「……え、これ、おれ?」
 自分でも驚きだ。鏡の中の、清純そうな女が自分だと、一体誰が想像できるだろうか。
 あやめの手腕もさることながら、ここまで変身できるとは。
 この分だと、もしかしたらあの桂木の親爺や早瀬なんかも騙せるんじゃないか、なんて気まで起こる。
「あらあら、皆して……あらら」
 と、そこに和服姿のママがひょっこりと顔を出してきた。どうやら客で何か企てているのをホステスたちを咎めようとしたのだが、黒崎の姿を見て口元に手をあてて微笑む。
「もしかして、黒崎ちゃんなのかしら?」
「あ、はい。……何か、凄いコトになってます」
「いいえ、とても素敵だわ。このまま、お店で働いて欲しいくらいよ」
「それは……勘弁して下さい」
 苦笑する黒崎をよそに、他のホステスたちが『ママ、ナイスアイディア!』と喝采を浴びせる。
「そうよ、ねぇママ。黒崎ちゃんを新人さんにしてみません?」
 突如出してきたあやめの提案に、思わずぎょっと振り返った。
 ちょっと待て、と静止する間もなく、他のホステスたちもそうだそうだの大合唱。
 ついには、ママもにこにこしながら、
「そうねぇ、陽ちゃんだけに見せるのは勿体無いわねぇ」
 などと恐ろしいことを言い出す始末。
 いやそれは。もしかして。
「ちょ、ちょっと待ってください! おれ、男だし」
 そもそも、そんな職業は自分には向かない。
 以前、ホストクラブにもこっそり潜入したこともあるが、あの異様な雰囲気には絶対に馴染めない、と心から思ったこともあるのだ。
「大丈夫よ、黒崎ちゃん。わたしと一緒に行動したらいいのよ」
「あ、あやめさんと?」
「そうよ。黒崎ちゃんは男の子なんだし、ホステスって仕事もしたことも無いでしょ? だから、一緒に行って見ていけばいいのよ。お手本が横にいるんだもの」
 任せて、とばかりににっこり笑うあやめに、まだ困惑気味の黒崎。
 なおかつ、テンション高く『やっちゃえー!』と乗り気のコールを上げる他のホステスたちに、ママもにこにこと笑顔のままで促している始末。
「……おれ、乗ってよかったのかな」
 約一名、取り残されて、ぽつんと後悔気味に呟いた。


「いらっしゃいませー!」
 ホールに、何人ものホステスたちが華やかに踊り出た。
 それぞれがテーブルにつく男たちの横につき、賑やかにもてなす。
「はい、頑張ろうね」
「……う、うん」
 腕を組んで逃げられないようにされて、黒崎はあやめとともに知らない客の傍に来た。
 じぃ、とまじまじと凝視する男に、慌てて眼を逸らそうとする黒崎に、肘であやめに注意される。
「あ……いらっしゃいませ」
 わざと高い声を作って、何とか柔らかい微笑みを浮かべると、客の男がぽかんと口を開けたままの間抜けな表情を引き締めた。
「……いや、こりゃ綺麗なお嬢さんで」
「でしょお? うちの新人さんなんですよ。咲ちゃんっていうの」
 横で、あやめがにこにこと会話をする。
 なるほど。名前が『黒崎』だから『咲』なのか。
 一人納得して、黒崎も彼女に合わせるように小さく頭を下げた。
「初めまして。……あたし、咲っていいます」
 これは仕事だ。これは仕事だ。
 心の中で念仏を唱えつつ、それを表面には出さずに、ちょっと緊張気味な面持ちで微笑んでみる。
「やあ、初めましてだなあ。それにしても、こんな可愛らしいお嬢さんが新人さんとは」
 わっはっは、と豪快に笑う客に、あやめも調子を合わせて微笑みながらビール瓶を取った。
「そうでしょ? ねえ咲ちゃん」
「え、あ……はい」
「咲ちゃんもお酌してあげてね」
「は……あ。そうですね。はい」
 慌ててビール瓶を取り上げる。が、軽々と片手で持ちそうになって、小さくヒールで小突かれた。
『黒崎ちゃん、女の子は片手で持たないよ』
『あ、そっか』
 ぽそぽそと囁きあい、慌ててあやめの見よう見真似でビール瓶を手にする。
「ごめんなさいね、咲ちゃん、こういうお店で働くの初めてなんですって」
「おや、そうなのか。でも、そうだろうなあ」
「……はい。もし何かあったら、遠慮なく言って下さいね?」
 黒崎が首をちょこんと傾げて言うと、大丈夫、と客が大きく頷いた。
「ここのママは優しいし、あやめちゃんも頼りになる先輩だから。咲ちゃんなら立派にできるさ」
「やあだ、上手なんだから」
 ビール瓶を抱きかかえ、片手で口元を隠して笑うあやめに、黒崎はこの先大丈夫なんだろうかと、今から不安になっていた。


 とはいえ。
 元々記憶力も高く、他人を信じさせる能力に長けている黒崎のこと、何人かの客の席を回った頃には、すっかりあやめの接客のコツを掴んでいた。
 声を作って緊張気味に挨拶し、どうぞと微笑んでビール瓶を持つ仕草にも慣れてきて。客がタバコを取り出したら、タイミングを見計らってライターを差し出すなど、立派にホステスの仕事を順調にこなしていく。
「黒崎ちゃん、凄いよねぇ。ちょっとあたしの横についてただけで、そこまで覚えられるんだもん」
「……元々覚えるのは得意だし。それにこれも演技の延長って考えたら、結構勉強にもなるよ」
「演技?」
「いや、こっちの話」
 裏に引っ込んで、感心そうに眺めるあやめに、黒崎は謙遜しながら苦笑してみせる。
 それに、あやめの選んだドレスは、見た目に比べて意外と足元が裁きやすく、動きやすい。低いヒールのパンプスに慣れていないのを除けば、だが。
 それを差し引いても、何時の間にやらどこから見ても清純そうな女性に見られるような立ち振る舞いを習得していた。
「さあ、いよいよ本丸よ」
 妙に気合の入ったあやめの声に、黒崎が不安そうに眉を下げる。
「でも……あいつものすっごく鋭いぜ」
「大丈夫! ママに、黒崎ちゃんの事聞かれても適当に席外してることにしておいて貰ったし」
 自信たっぷりに言うあやめだが、黒崎はどうも落ち着かない。
 何せ白石も、自分と同じ詐欺師なのだ。
 それも、自分よりも長い間、研鑚を積んできたシロサギ。
 人を見抜く眼は、多分自分と同等の力を持っているだろうと踏んでいる。そんな白石相手に、正体がばれないように女として振舞わなければならない黒崎は、いつもよりもちょっと躊躇していた。
 いや、それよりも何よりも。
 ばれたらばれたで、今回のことを事あるごとにちくちくちくちくツッコミを食らうかもしれない。
 ぐるぐる考えている間にも、あやめは黒崎のメイクを綺麗に施し直してしまった。
「あれ、あやめさん?」
「うん、ちょっとお化粧崩れてたから。どう?」
「……あ、うん。大丈夫……じゃなくて!」
 手鏡を手渡され、念入りに確認して頷いたが、問題はそこではない。
「黒崎ちゃん、頑張ろうね!陽一さんを吃驚させられるのは、貴方だけなの!」
 がっしと手を握られ、真剣な眼で真っ直ぐ見るあやめに。
「……もう、しょうがないか」
 黒崎は改めて、ため息をついた。



おまたせしました。女装ですよ!
女装黒崎ですよ!!(と無駄に主張)
そのわりには白石さんの出番全然ないんですが(苦笑
黒崎は結構黒に赤い差し色を多用していることがおおいので、
あえて清純っぽく青系のお洋服で。
そして無駄に続きます(苦笑